更年期の朝

朝とても早く起きて飛行機に乗る事ってとても多いんだけど、苦手。

飛行機って乗り遅れたら、その後面倒臭い事多いから乗り遅れたくない。

朝早く支度するのが苦手(専業主婦だから)

朝活(トイレのタイミング)が難しい、でも無しでは出たくない。

なので、前の晩から緊張してうまく寝られず、

そんな日は寝不足でパフォーマンスが下がる( ̄▽ ̄)

 

今朝はそんな朝で、

乗り遅れるわけに行かない乗り物、

行きなれてない所、

1人、

大きな荷物を持ち歩く。

と言う何重苦の中。

余裕に余裕持った、かなり早めの起床から、

かなりの余裕を持った電車予定を調べて、

とりあえず、滞りなく進行中。

 

そんな中、更年期は疲れるね〜〜。

汗が疲れるのです。

人生50年、汗をかくことなく生きてきたせいか、

汗をかくことに疲れるのか、

汗をかいた後の皮膚の呼吸困難感に疲れるのか。

スポーツウエアでしのげるところは凌いでいるのだけど、

パジャマの高機能は無いのか、思案中。

 

 

 

最後の時

人はどーして亡くなる瞬間やその前に痛かったり苦しかったりしなくちゃいけないんでしょう。
寝ながら、何も気がつかないで終わる人は少ない気がします。
精一杯生きて来て、そーゆー最後、宗教的にはなんて説明するんでしょうか?

 

生まれてくる時も、キツイ狭い道を苦しい思いで出てくるから、

最後もそうなんですかね。

そーゆーもんなんですかね。

そーゆーもんなんでしょうね。

 

おごり

近い将来、自分もだけど ばーばはこの世からいなくなる。

そんなこと考えたら悲しいけれど、

最近、してやってる感が多かったかもと思った。

 

育ててもらったから親孝行するのは当たり前といいながら、

上からな行動だったと昨日はっ!と思った。

親孝行できることはやりきったと思ってたけど、

実際居なくなったらさびしい。

そんなことを感じてしまったのは、

ばーばの最終章を又少し感じたから?

 

今日も楽しく会ってこよう♪

 

ばーばのご飯

又ばーばの話。

 

最近又フラフラが増えて来てる。

顔にも覇気がない。

 

又何か新たな病気かもしれないとも考えられるけど、

妹と話して、やはり食べてないよねと。

 

女性だし、ご飯作るのが唯一の特技だから、

最近は自分で買い物したり献立考えたりと任せているけど、

多分対して食べてなく、食欲もない。

今の彼女は気力も無い。

お弁当をとることも考えてるけれど、

それを与えてしまったら、何かが劣化する気がして怖い。

 

 

 

 

写真やアート

私には多分アート的なセンスは少ない。

絵を描かせても似てない。

小学校の時の写生大会で、立体的に椅子が描けなかった。

 

そんな私も写真を撮るカメラが好きです。

 

小学校の修学旅行に行く時に、父にカメラ(ジャバラでレンズが出てくる)を貰ったのが初めてのカメラ。

その後NIKON Fを譲り受け。

勿論オートと言うものは何も付いていなく、

フイルムも毎回巻く、ピントも絞りもスピードも全部毎回いじる。

フィルムをカメラにセットするのも、端っこ折り曲げてジーコジーコ

今思い出すと楽しいな。

 

子供が生まれてもそれで撮り続けてた。

 

でもある時コンデジを買い、

そしてデジタルの一眼になった。

なんか上手く撮れない。

又個性的なコンデジに戻ったり、

ミラーレスにしたりして、約6年。

 

なんか上手く撮れない。

 

 

箱入りから大人の階段へ

私にはずっと悲しい事は無かった。

辛い事も無かった。

ストレスは無かった。

 

何かをすれば空は晴れ、

笑顔に溢れ、

人が集まってきた。

 

人生初めての悲しい事は、

約5年前、サーフィンをしていて右の薬指の先を落とした。

それでも、周りの人に良くしてもらい笑顔で乗り切れたが、

初めてのショックな事だった。

怪我した事も大変だけど、

その後の手術や通院やリハビリは涙チョチョギレの事だった。

 

 

そんな怪我をする前に、初めての真面目に考えた事があった。

自分の周りの大切な人への、大事な時に寄り添いたいと思った時、自分はまだまだ小さいなと思った。

 

1.また何かのトラブルで入院や手術をした事のなかった私は、

そーゆー事になった友人や知人に対して言葉をかけたいと思っても経験がないので薄っぺらい言葉になってしまう事が大人として残念だと思った。

 

2.人が亡くなった時、残された家族に対して御愁傷様ですと言うが、それも自分には経験が無いので、ただの挨拶みたいな言葉でしかなく、その人を思いやれてないなと思ってた。

 

そしてその後、暫くして夫の母が亡くなった。

無我夢中で色々な事をこなして、

その後自分の叔父が亡くなり、喪主の従兄弟を助けて葬儀を出し、

自分の父親が亡くなり、

自分の祖母が亡くなり、

夫の父が亡くなり。

まぁ、良い加減そっち系の事はそこそこ慣れっこになって来たが、

人を見送る大変さ悲しさ、そしていつまでも残る辛さと言うものを身を以て感じる事ができた。

 

 

これで良かったんだと思う。

体験できた。

 

でも、悲しい経験は無い方がいい。

知らないままの方が良かったかもしれない。

失くしたものは大きいから。

もう、戻らないから。

 

どっちが良かったのかな?

知らないで人に寄り添えない自分と、

少しは人の悲しみが想像できて近くにいてあげたいと思える自分と。

 

遅すぎた大人の階段と言えばそう。

大きな一段。

 

 

 

 

 

趣味のオーディオ♪

今日は趣味の話。

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私達が子供の頃はオーディオが趣味って人が多かった。

 

私も中学に入学する時、オーディオボックス付きの大きいオーディオセットを父に買ってもらった。

そこから私のオーディオ人生のスタート。

当時はFMレコパルとかの雑誌も流行り、オーディオの事や音楽の事が多く取り扱われていた。

それにのせられて?1つ1つ買い足していき、

大人になりお金が自由になると、その欲求は更に大きくなり、

マンションの一室で聴くには必要以上のオーディオ達が部屋中に並べられていた。

 

しかし、最近はウォークマンやアイポット、今ではiPhone1つで何でも出来て、

車に乗っても、電車に乗っても、もちろん家にいても全ての音源を持ち歩く事が出来、気軽に聴く事が出来る。

 

家にいてもオーディオにCDを入れて1枚のCDを聞くより、

1人のアーティストの音源をまとめてアットランダムで流したり出来、その方が気軽に思える。

 

そして、再婚して前の家に気に入ったオーディオは置いてきたので、

今ここには無い。

 

かと言って、大枚叩いて買う気にもあまりならない。

他に楽しい事ややりたい事欲しい物がまだまだ沢山あるから。

 

大好きだったオーディオから離れてる事が少し寂しいこともあるけれど。

 

家にいても今もiTunesを通して音楽を聴く事が多い。